今月末の大会前はもうずっと遅番が続くので、ああ「今日と明日しか練習できないなー」と考えながらプールに向かっていたら、某後輩から体調不良の由入電があり、明日練習できないことが確定した。半ばやけくそで、再来月出る予定の 1500m をちょっと真面目に泳いでみたら 22:30 だった。前回不真面目に泳いだ上に足が攣った時のタイムは 28:50 だったから、いくら練習を重ねてるとはいえ、一月も経っていないのに6分短縮というのはちょっと速すぎる。ターンカウント間違えたか? でも前回は本当に不真面目に泳いだし、逆に今回は結構頑張って泳いだからなーうーんそこそこはやくなってるのかもなーなどとひとりごちながら帰宅して夫婦で鰹のタタキをつついた。うまかった。
中国地方出張中の O 社 W さんと嫁と飲んだ。普段はそんなことがない居酒屋の BGM がずっと YMO という異常な状況で業界や業界人の話から Interop 96 Tokyo 当時の話題になり、
「自分が YMO 好きなのはもちろんリアルタイムではなく坂本龍一から入っていて、小学生だった 96 年当時、NHK で村井先生とチバレイコがやってたインターネット入門番組で坂本龍一のコンサート “f” が紹介されたのを見て感動したのがきっかけで、そこから YMO をきくようになったんす」
「チバレイコって知らない」
「うーん今で言うネットアイドルのはしりみたいなひとだね」
という会話がありましたが、ネットアイドルという言葉自体が今の若者には通じない死語になっている。
そんなわけで久々の連休 2 日目は朝っぱらから PLAYING THE ORCHESTRA 1997 “f” をかけてノスタルジックになっている。
もう15年前かこれ。
- 規則正しい生活をする
- 近隣の他店舗に通う
- 古書店・古本市に行く
- 教養新書を買って読む
- Excel をおぼえる
- オンライン書店をうまく使う
- 検索エンジンをうまく使う
- 書店仕事の9割はルーチンワーク
- ルーチンワークは効率化してやる
- Twitter は息抜きです
3か所ぐらい裂け目ができて痛みが走り、じんわり血が出てくる、というなんとも気色悪い夢を見た。手は利き手ではない左手。夢判断的には「左手」「3箇所」「その後傷口が広がらないようにぐっと丸めてやりすごす」あたりがミソか。心当たりはないこともない。
実家に帰省した。おもにいまのすみかの不動産の問題で私の蔵書はすべて実家においている。辞書も文庫も全集も雑誌も全部おいている。箱に入れて山積みになっているそれらを帰省するたびにいやでも目にしてしまうのだけど、本当はちゃんとした棚に入れてやって、仕事と家庭とが交錯する生活空間の中にしっかりとおいておきたい気持ちが強い。しかし全部といっても社会人 2 年目に 600 冊程度あったコンピュータ関連書籍は「置き場がない」とかくだらない理由ですべて売ってしまっており、その時点でそれはかつて「こんな蔵書をもとう」とそれなりに決心していた「理想の蔵書」からは遠く離れてしまっており、今はもうあまりこだわってはいないというのが現状、無意識につけたような落としどころとなってしまっていてとても悲しい。さて今回の帰省でも感傷に浸りながら山積みの箱を開けてうっとりしていたら、先述の通りコンピュータ関連書籍は売って全くなくなっているはずなのに、週刊アスキーや InternetMagazine が出てきた。発行年が1997年-2000年 だったのをみて中高生時代に買ったものだとわかった。日経トレンディとかも読んでいたらしい。ぱらぱらめくってみたら結構内容をおぼえているものだ。懐かしい。あの頃は読みたい雑誌をよく買って読んでいたものだ—などという感じで当時を振り返っている今の自分を当時の自分がみたらどう思うだろうか。当時は、これからどんな学校に行きその後どんな仕事をしているのか、いやそもそも自分の人生になにか道筋を立てることができたのかどうか、そもそも仕事をしているのかどうかすら全く想像できずに日々漠然としていたことよ。
BS プレミアムで放送しているのをたまたま見つけたものの、これが再放送だということを知って本放送を全く知らなかったその興味の薄れ具合に驚く。
とか書きつつ、誕生日プレゼントとしてもらった 93 年テクノドンライブの DVD は寝室のスクリーンにスクリーンに穴があくほどみてみていて、教授の後ろで保土田さんがノリノリで mix してたりするのを見つけてにやにやしたりしている。
牛角で死ぬほど肉を食ってやった。また牛角か。広島には叙々苑もあるしほかにもおいしそうな店はたくさんあるんだけど、ただただ開拓するのが面倒くさい。これが28歳か。別に年齢は関係ないか。叙々苑といえば、筑紫哲也に3回生の時に赤坂で連れて行ってもらったことがある。確か見学に行っていた News23 の収録後に誰かが調子に乗って「叙々苑にいきたいっす」みたいなことを言って、おいもう1時だぞアホか、と思っていたら本当に連れて行ってくれたのだ。若者に対するあのメンタリティは謎だ。確か学生20人ぐらいに食わせてくれて結局全部の支払い15万円ぐらいおごってもらった筈だ。センマイが苦手だか好物だかそういう話をした記憶があるけどどっちだったか覚えていない。本屋に就職することを喜んでくれていたし、それもあって京都の店舗ではよく買い物をしてくれていた。最晩年は平安神宮のあたりに住んでたんだよな。ともすればシューカツとソツロンに追われるだけとなりがちなあの時期に、あの年齢の人と「あの本が面白かった」「あそこの編集長にいろいろ教わった」とかいう話をするのはとても楽しいことだったのでいい思い出である。北白川ラジウム温泉にも行った。懐かしい。今思えばガン治療にあの温泉って禁忌ではなかったか。しかしもう亡くなって3年になるのか。そりゃ28歳になる訳だ。
閑話休題。15周年の牛角は王様ハラミをはじめ食べ放題のコストパフォーマンスが高くて大変よろしい。いつもは極コースにビニャマイポのボトルでいくところを今回はビールにした。ビールは最近さけていたのだけどまあいいだろう。ビニャマイポは安くておいしいし焼肉にあうんだけど、もうちょっとワインの種類が増えて、あとそれらにあうように、チーズメニューを拡充するか、せめてチーズフォンデュ de チキンバジルのチーズをプロセスチーズじゃなくしてもらえたら言うことはない。まあそんなもん家で飲めゃという話ではある。たらふく食った後に本通り界隈をぶらついて原爆ドームをみて帰った。あとは嫁と2時間みっちりテニスをした。あり得ないくらいに腕が痛い。当日も既に痛かった上に翌日も痛い。きっと明日も痛いしなんなら明後日も痛い。これが28歳か。いいえただの運動不足です。
instagramでもいくつか写真を撮っておいたように、呉の大和ミュージアムに行ってきた。もとい、呉にいったものの完全なるノープランだったのでとりあえず大和ミュージアムにでも行ってみるべやと行ってみたらそこだけで呉観光が終わってしまった。屋台で晩飯でも食って買えればよかったのかもしれないけど、夜は広島で上司と先輩と後輩との飲みがあったのだった。なお来るはずの同僚は来なかった。面白くない。ともあれその飲みは Osaka の O さんを囲む会のような飲みで、曰く現開発部の T さんがサンパル店の店長だったとかいう話はものすごく意外で興味深く面白い話だった。あと新書サイズの新作ブックカバーもいただいた。集英社新書の読者プレゼントだった帆布カバーをずっと使っていたのだけど、やっぱり革がいいよな。ちなみに O さんはまだ私が Osaka にいたころ、結婚祝いにと B5 変形(=所謂オライリーの判型)のブックカバーも作ってくだすったのだ。ああ最近技術書読んでないな。
さて大和ミュージアム。展示資料そのものや展示の演出にも依るんだろうけど、ワープロも CAD もない時代の手書き文章や設計図面は美しいとつくづく思わされた。それらを( 書く | 描く )ために、実際に呉工廠で使用されていたコンパスなども展示されていた。ぼんやり眺めていた。
呉鎮守府の歴史とか、そこにいた人物の情報や関連展示をずっとみていると、ああここにも優秀なエンジニアが多く居たのだな、と思わされる一方で戦局の悪化とともに歴史に名が残っている当時の血気盛んな若者—例えば黒木博司が回天を提案したのは 22 歳だったとかそういうことを目の当たりにして疲れた。やっぱり疲れてんな。疲れるよ。
昔の日記を読んでいたら
本;「紙に印刷される文字」とwebコンテンツ;「ハードディスクに記録されるビット列」ではどうしても後者より前者の方が”モノ”としての感じが強くするのだけど、でもそれは「ビット列が人間が五感では直接理解することのできない、アクセスすることのできないメタ情報である」ということが原因であって、そのメタ情報を本情報に結びつけて考えたり理解したりする手段が今後もっと進化していったらそれこそ Matrix や GitS の世界ではないけど「”目に見えない”ということからくるようにおもわれるデジタル情報に対する不満足とか気持ち悪さ」はもうその時はさっぱり解消されているのかもしれない。
そうなるともはや
「”テキストを紙に残すことの脆さ”>”テキストをデジタル化して残すことの脆さ”」
という逆転をともなって
「Web コンテンツは”かたちあるもモノ”だ」
という感覚が普通になる時代がやってくるのかも。
といったことが書いてあった。自分の書いた文章なのに自分で書いた気がしない。
ちょっと疲れているのかもしれんね。
日曜日、来広中の先輩と飲んだ。当然、「最近売れている本は何か」と問われる。床屋されていつも困るこの質問にはいろいろな答え方があって、今回は「4冊仕入れて2冊売れたストラウストラップのProgrammingですかねーいやーこれ原書はすごいタイトルですよねー」などと話した。その他、書店はどうかと聞かれたので率直に単刀直入に「楽しい」という話をした。ただ同僚が少ないのが嫌だとも話した。同じ職場に同僚は少ないけれど、でもまだ全国的に見ればいろんな人がいてそれが楽しいとかそんな感じ。たとえばと「東大を出て官僚にもならず書店に入社、池袋勤務ののち那覇勤務を経てつい先日退職した先輩がいて、その退職した理由が近所にあった那覇では結構古くからある古書店の店主募集の張り紙を見て本当にそこの店主になってしまったから」という話をした後で、大学の話になって「そういえばR大学に上野千鶴子が客員で来るらしいよ」という話を聞いたので、「あそういえばさっきの”東大を出て官僚にもならず古くからある古書店の店主になった先輩” というのは女性ですよ」と言ったらやっぱり男性だと思われていた。
油断大敵、ジェンダーバイアス。
Maestros of Cool - a tribute to steely dan という好きなアルバムがある。まだ独身で堂島勤務だった頃、大阪駅前第3ビルの地階にある中古CD屋で見つけて買ったものだ。あの第2・第3ビルの界隈は仕事あがりにひとりでよくふらついていて、華やかに地上を占める百貨店とはちがって雑多でまったく自分にうってつけの場所だった。(それでも、異動直前の頃になるともう全然いかなくなってしまっていたのだけど)
この CD にはいっていた Joyful Caravan という曲が特に好きで、それがこうじて自分の結婚式は二次会の乾杯 BGM として使った。状況とタイトルが合致したナイス選曲だったように我ながら思た。ちなみに乾杯の音頭をお願いしたのは当時上司の先輩。去年7月のいい思い出である。
その二次会に先立つ結婚式&身内だけの披露宴では御披楽喜の新郎挨拶を忙しさとか忙しさにかまけて何も考えていなくて、楽しかった宴の最中に心に浮かんだそのままを挨拶としてえいやあと口にしたら「明るく楽しい笑顔が絶えない家庭を築きたいと思います」というのが出てきて、そのときはそれを口にしながらも「ああそうか…そうだよ…実家で暮らしてた頃は楽しくないことも結構あったし笑顔もよく絶えてたな…親に対するイヤミだこれはーははは」などと思ったものである。その挨拶も、挨拶しながら思ったその思いもどちらも全くの本音であった。あれから1年とすこしたった今、実際はというともちろん楽しくやってるし、あと自分でも意外なくらい冗談を言い合うなどして結構笑っている。(仕事中はそんなことないのにねぇ)
さて今回の出張は2週間弱の長期出張。震災前は人文の棚だったらしく、節分ネタの壁面と思われる鬼ごっこの折り紙や PriPri 4月号の予告ポスターが壁とか棚に貼られていた。そういうものを見て初日はかなり凹んでいたし、そもそもひどく埃っぽかった上に照明も半分しか点いていなくてとても暗かった。おまけに初日はコンピュータ書しか搬入されておらずつまりそんな暗い冥いフロアに本当にひとりぼっちで未仕分けを延々仕分けしていたのだが、これが全然はかどらなくて本当に本当に辛かった。ふと鞄をみると旭川で買ったエスタロンモカの残りが入っていたので、それを珈琲で割って飲んだ上に「どうせひとりだからいいだろ」と BGM に Dirty Circuit とか Changes of Life なんかをかけてやってみたら案外はかどった。あとはそう New Time New Place とか。実際にはかどったけど今振り返ればちょっとテンションあがり過ぎでおかしかったかもしれない。選曲に問題があったのと、あとはまあ「やはりカフェインは効く」(←今来栖の声で読もう)。
結局ちょっと押し気味だったけど無事に仕事は終わった。その詳細をこういうところに書くことはないし書いてる人はアホだと思っているけど、端的に書くと2週間はやはり長いということに尽きる。最終日前日にいたっては普段一緒に飲むことのない人たちの末席でここぞとばかりにぐいぐい飲んでいたけど、飲んだところでそういうところで自分が話したい話はできないと相場は決まっている。いやそんな相場は無視してすればよかったのかもしれないがそうじゃない話をへし折ってする話でもない。何にせよあとのカーニバルで、それはそれで余計な疲れとなるものだ。
そうやって疲れきった出張帰りの新幹線でかける BGM は当初はいつも schiff の Goldberg Variations で、今回も微睡みながらこれを2周位かけて、そうすると名古屋-京都を超えたあたりから少しずつ微睡みから覚めてくるので、新大阪のあたりで冒頭の Maestoros of Cool の Disk1 をかけるのだ。新大阪人がどどっと降りてすいた車内にたたずみながら、むかし住んだ大阪の夜景をぼんやり眺めてこの盤の Home at Last とか Black Cow を聴くのがとてもよいのだ。聴きながら、当時の記憶の輪郭をなぞったりするのは感慨深い割に頭がすっきりする。そして最後には Joyful Caravan をきいて、結婚式の日と「明るく楽しい家庭」の件を思い出して、まあ月並みだけど決意を新たにするのだった。今回は特に最終日前日の飲みでなんかそういう話になったりしたのでその意識は強かったように思う。
ところで新幹線でビールは飲まない派です。あれは悪酔いするよ。(特に山陽新幹線!)
出張帰りののぞみに乗っている。こんなところでも「本日解禁の~」とふれこんでうっている。バブルじゃないのにバブルっぽいぞ。
山陽新幹線ー特に岡山以西は本当に揺れる。トンネル内の横揺れは不安にすらなる。そういえば何年か前に山陽新幹線のトンネル内部の壁が剥離しまくっているとニュースが出ていたがあれはどうなったんだ。
